江戸城のガイドツアーに家族で行きました~
3時間くらい皇居敷地内(皇居東御苑)を歩きながらとても分かりやすい説明をしてもらえました。
その中で、江戸城内で7回も斬り合いがあった事を知ってビックリしました。
今回は、江戸城(皇居)のガイドツアーに参加し、松の廊下で起きた「赤穂事件」について学んだことついてお伝えしていきたいと思いま~す

赤穂事件とは
赤穂事件とは、赤穂藩藩主浅野長矩が、吉良義央を斬りつけた事件。
「え?江戸城内では刀を持っちゃダメなんじゃないの?」という人がいるかもしれないので一応書いておきましょう。じ、 つ、 は、江戸城内でも短刀は持って入って良かったんです。
なぜかと言うと、罪を犯して、切腹を命じられた時すぐに自腹を斬れるように、短刀はもって良かったそうですよ。
さて本題に戻りましょう。浅野長矩が吉良義央を斬りつけた日には天皇の使いがくる日だったので、浅野長矩さんはお迎えする人、吉良義央は取り仕切るシニアコーディネーターだったんだって。そのときに浅野長矩が江戸城本丸御殿松の廊下(江戸城本丸の大広間から白書院へと続く畳敷きの約30~40メートルの廊下)で、吉良義央を斬りつけたみたいだよ。 切りつけたときに浅野長矩は「この間の遺恨(恨み)覚えたるか!」と、言っていたみたい。浅野長矩は、吉良義央に恨みを持っていたのかもしれないね。
その時の将軍徳川綱吉は浅野さんに切腹を命じたんだ。

吉良さん・・・!浅野さん・・・!綱吉さん・・・!
ガイドさんの話を聞く前のみっきーのイメージは、
「え、吉良義央さん大丈夫~?浅野さーんダメでしょー」
みたいなイメージで、どこで起こったのかも知らなかったので、そんな興味持ってなかったです。
だけど、ガイドさんの話を聞いた後のみっきーのイメージは
「その日は天皇の使いがくる日だったんだ!そんな日にそんな事件を起こすなんて、徳川綱吉さん激怒するよなぁ。でもそんなことするなんて、浅野さん、相当な恨みがあったんだろうなぁ」みたいに、
昔の人の気持ちが少しわかった気がします!!
ちなみにその後(1年9ヶ月後)浅野長矩の家臣の大石良雄(大石内蔵助)さんたち47人が、浅野長矩の仇打ちに吉良邸に押入り、(元浅野家の家臣たちも。)吉良義央の首を討ち取ったんだ。が、その時もまた、徳川綱吉によって大石良雄たちは切腹を命じられたんだ。
このエピソードは江戸の人に大評判になり、歌舞伎などに使われたんだって。
平和な時代?
江戸時代って、平和な時代で、あまり斬り合いとかいざこざがなかったのかなと思っていたんだけど、恨みとか、仇討ちとかもあったことを知れました。
現代も、他の時代に比べたらすごく平和だけど、世界を見るといろんな問題がある。
すべてが平和な時代なんてないんだな・・・とみっきーは思います。

コメント