みっきーは東京都町田市にある
泰巖歴史美術館
へ行ってきました!

ここには織田信長や戦国武将の資料がたくさんあって、戦国好きのみっきーにはたまらない場所でした。
4階には甲冑や刀、合戦図の屏風などが展示されていて、その中に
なんと
加藤清正が虎を倒している場面のリアルな像がありました!
みっきーは
「えっ、本当に虎と戦ったの?」
と気になって、加藤清正の虎退治について調べてみました。
加藤清正の虎退治とは?
加藤清正は、豊臣秀吉に仕えた戦国武将で、「肥後の虎」とも呼ばれていた人です。
虎退治の話にはいくつかの説があることがわかりました。
■ 鉄砲で退治したという話
朝鮮半島に出兵していたとき、虎があらわれたそうです。
家臣たちが鉄砲を構えたけれど、清正は「撃つな」と止めて、自分で虎の喉を狙って撃ったという話があります。
しかもその虎は、馬と小姓を連れ去った虎だったとも言われています。
もし本当なら、すごい勇気です。
■ 槍で退治したという伝説
清正が愛用していた十文字槍で虎と戦い、片方の刃が折れたので「片鎌槍」と呼ばれるようになったという話もあります。
でも今残っている槍は、もともと片刃の形だったそうで、虎に折られたわけではないとも考えられているそうです。
「鉄砲で退治した」という話が、勇気を強調するために「槍で退治した」という伝説に変わった可能性もあるそうです。
■ 家臣が退治したという説
清正の足軽が虎を退治したという説もあり、その足軽をほめて身分を上げてあげたという伝承もあります。
どの話が本当なのかははっきりしませんが、いろいろな話が残っていること自体がすごいと思いました。
加藤清正とはどんな武将?
加藤清正は、
・豊臣政権の武断派武将
・賤ヶ岳七本槍の一人
・熊本城を築いた武将
・「肥後の虎」という異名を持つ人物
として知られています。
幼名は「虎之助(とらのすけ)」といって、子どものころから「虎」の字がついていました。
みっきーのイメージの変化
泰巖歴史美術館へ行く前のみっきーの加藤清正のイメージは、
・虎を退治した人
・熊本城を作った人
・豊臣家を支えていた武将
という感じでした。
でも今回調べてみて、
・いくつもの虎退治伝説があること
・小姓が連れ去られたから戦ったという話があること
を知りました。
今のみっきーの加藤清正のイメージは、
「強いだけじゃなくて、仲間のことを大事にする武将だったんだな」
と思いました。
まとめ
実際に像や展示を見ると
「本当にこんなことがあったのかな?」
と、もっと知りたくなります。
加藤清正にはさまざまな逸話が残っていて、戦国時代の武将の強さやどんな人だったかを考えるきっかけになりました!

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