春休みに長野県で城めぐりをしてきました。
事前に考えていた疑問について、実際に見たり調べたりして分かったことをまとめます。
事前に考えていた疑問はこちら→歴史メモ#002|長野城めぐり旅行で調べたいこと(松本城・松代城・上田城・川中島)
松本城で分かったこと
・松本城はなぜ黒いのか
→築城者が豊臣家の家来だったことが関係していて、城壁の黒い色はウルシでできており、豊臣家のえらさの象徴だとわかりました。
・6家の家紋が残っている理由
→城主が変わった中でも、敵同士ではなかったため、6家の家紋が残っていたとガイドさんに教えてもらえました。
(ちなみに、みっきーが前に行った江戸城は、徳川の三つ葉葵の紋が、ほとんど菊の紋(皇室の紋章)に変えられていました。『東京城址女子高生2』を読んだときに、「なんで松本城も紋章を変えなかったのかな?」と思っていました。)

・松本城が今も残っている理由
→取り壊されそうになった松本城を守った人たちがいました。
- 市川量造:明治5年に松本城天守は競売にかけられ、235両(今の400〜800万円くらい)で落札され、取り壊されることになっていましたが、天守買い戻しに尽力し保存に貢献しました。
- 小林有也:初代松本中学校長で、明治34年に松本天守閣保存会を設立し、11年間にわたる修理の中心となり、天守倒壊の危機から救いました。
このような人たちのおかげで、松本城天守は取り壊されることなく、今に残っています。

松代城で分かったこと
・三日月堀とは何か?
→三日月の形をした堀で、武田家の城によくある防御施設だそうです。(松代城はもともと、武田信玄が上杉謙信との川中島の合戦の際に武田方の基地として築かれた海津城でした。)
2027年までに、この三日月堀や、丸馬出しなどを復元する、第2期整備中で、工事をしていました。

上田城で分かったこと
・上田城の戦いと地形の関係
本で読んだ「上田城攻め」が実際の地形と関係あるのか気になっていました。
→地形や川は関係しているみたいで、
真田さんたちは川の上流の方で水をせき止めておいて、
城でこっぱみじんにされた徳川軍が逃げてくると、せき止めていた水を流して、
徳川軍をベッチョベチョにやっつけちゃった戦いだったらしい!
地形や川をうまく使った戦いだったことがわかりました。
・徳川家康が上田城を壊した後、どうして仙石家は上田城を修復したのか
→徳川家康が仙石忠政にこの場所に城を作れと命令したから。(いろんな勢力の間にあって大事な場所だから守りたかった。)

川中島で分かったこと
・上杉謙信と武田信玄の一騎打ちは本当にあったのか?
→川中島古戦場に、その一騎打ちの様子を再現した像がありました!
どこでどんな感じで戦ったのかイメージしやすくなりました。
ぜひ行ったら写真を撮ってね〜!

感想
・真田邸で見たビデオに出てきた現在の真田家当主がイケメンだった☆
・ 城の門などにあった「猪目(いのめ)」がハートの形でかわいかった♡
猪目は魔よけの意味があるそうです。
まとめ|実際に行くと歴史がもっとわかる!
実際に行ってみると、本で読んだだけではわからなかったことがたくさんありました!
これからも、いろんな場所に行って、歴史をもっと知っていきたいです!

コメント