ゴールデンウィークに、みっきーは岡崎城に行きました!

岡崎城は、徳川家康が生まれた城として有名です!!
あちこちに家康像があって、「さすが出生地!」と思いました。

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岡崎城は、15世紀ごろに西郷頼嗣(さいごうよりつぐ)によって築かれたといわれています。
家康はいきなり波乱万丈!
家康は、6歳になるまでこの岡崎城で暮らしていたんだって。
当時の三河国(今の愛知県)の松平家は、今川氏に助けてもらうため、家康を人質として送ることになったんだよ。
ところが、家康を今川氏のもとへ送る役目だった家臣の戸田康光(とだやすみつ)が、途中で織田氏に寝返ってしまった。
そのため、家康は今川氏ではなく、織田氏に人質としてとらえられることになったんだ。
その後、今川氏の軍師として有名な太原雪斎(たいげんせっさい)が、家康を取り返すために動いたよ。
そして今川氏は、織田信長の異母兄である織田信広(おだのぶひろ)を捕まえたんだって。
※異母兄というのは、お父さんは同じだけど、お母さんが違う兄弟のことだよ。
そこで、信長の父の織田信秀(おだのぶひで)は、家康を今川氏へ送り返し、代わりに織田信広を返してもらったそうです。
岡崎城を出たばかりの家康なのに、いきなり波乱万丈の人生だね!
本多忠勝は・・・強い!強い!
みっきーは岡崎城で、本多忠勝の像を見つけました。

本多忠勝は、徳川四天王の一人です。
みっきーが好きな本多忠勝のエピソードの舞台は、三方原の戦いです。
三方原の戦いで、家康は武田信玄に負けてしまいました。
その時、本多忠勝は「しんがり」を任されたんだ。
しんがりとは、軍が負けて撤退する時に、一番後ろで敵を防ぎながら逃げる役目です。とても危険な役目です。
それだけでもすごいけど、本多忠勝は、しんがりの時の見事な戦いぶりを、敵将の武田信玄や山県昌景にも高く評価されたんだって。
みっきーは、「本多忠勝は家康より強いかもしれない」と思いました。
さらに本多忠勝には、57回戦って一度も傷を負わなかったという伝説もあります。強い!!
※本多忠勝については、いつか研究記事を書いてみたいです!
からくり時計が面白かった!
次に面白かったのは、からくり時計です。

長い針がちょうど12を指した時、からくり時計の中にいる徳川家康が踊るところを見たよ!
途中で、徳川家康の胸から能のお面がぱかっと出てきて、顔にはまりました。
さすが、戦国武将たちがハマった能だね!
なぜ戦国武将は能が好きだったの?
なぜ戦国武将は能が好きだったのでしょうか。
例えば、織田信長は桶狭間の戦いの前に、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば……」と舞ったとされています。
また、豊臣秀吉は、自ら脚本を作らせ、自分で主役として舞台に立ったそうです。
能は、自分の力や威光を示す「政治的な道具」であると同時に、「自己表現」でもあったんだね。
そして徳川家康は、能を武士の公式な行事で行われる「式楽(しきがく)」として定めました。
江戸時代には、能を学ぶことが武士の大事な教養になったそうです。
竹千代ベンチで写真を撮ったよ!
最後に、「天下人家康公出世ベンチ」(竹千代ベンチ)で写真を撮りました。
天守もきれいに映っていて、最高の写真スポットでした!

みんなも岡崎城に行ったら、ぜひ写真を撮ってみてね!




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