やっほー!
最近、みっきーは「親子で楽しむ歌舞伎教室」を見に行きました。
演目は「心霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」です。
なんと、このお話を作ったのは平賀源内なんだって!!
平賀源内って、ずっと今まで「発明家」とか「科学者」みたいなイメージだったけど、お話まで作っていたんだね!?
みっきーもびっくりしました!
なんでお話を書いていたのかというと、研究にはお金がかかるから、小説やお芝居を書いて研究費を稼いでいたんだって〜〜〜!
ちなみに、みっきーのお母さんは「平賀源内」のことを「佐久間象山」と間違えていました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※佐久間象山は、幕末に活躍した思想家・兵学者・教育者だよ。佐久間象山についても、これから記事を書いてみたいです!!

出典:Wikimedia Commons
ライセンス:Public Domain
平賀源内はライターや万歩計も作った!?
平賀源内といえばエレキテル!!!
って感じだけど、それ以外に何を作ったのかはあまり知られていないよね。
みっきーはそれが気になったので調べてみました!
① 日本最初のライター!?
すごいね!
どういうふうに作られたかというと、ゼンマイを使うことを思いついた源内は、火打石と鉄を使った、もぐさやたばこ用の点火器を発明しました。
これが日本最初のライターのようなものとも言われているんだって!
② 量程器(りょうていき)
源内が27歳のときに作ったんだって。
これは現在でいう万歩計のようなもの。
長崎で学んだ知識を生かし、腕時計の自動巻きと同じような原理で、一歩歩くたびの振動を歯車で数える仕組みだったそうです。
すごい発想だね!
③ 竹とんぼや熱気球も!?
ほかにも源内は、竹とんぼのような飛ぶおもちゃや、熱気球のようなものも考えていたと言われています。
エレキテルぐらいしか有名じゃなかったけど、こんなにいろいろなものを考えていたなんて、本当にすごいね!
いろんな名前!びっくり!!
さっきみっきーは、「心霊矢口渡」を平賀源内が作ったって言ったよね。
実は源内は、このお話以外にも小説をたくさん書いていたんだって。
1763年には『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』という、とても人気になった小説も書いています。
なんで発明家の源内が小説を書いたのかというと、研究にはお金がかかるから、小説を書いてお金を稼いでいたんだって。
発明家の上に小説まで書けるなんて、源内、秀才だね!!
田沼意次は平賀源内の才能を高く評価して、いろいろ支援したんだって。
江戸幕府の重臣にも応援されるなんて、源内、めちゃくちゃすごいね!!
でも、『風流志道軒伝』には「平賀源内」とは書いてないよ。
「え!!!さっき源内が作ったって言ってたじゃん!」
って思った人もいるよね。
実は、源内は作品ごとにペンネームを使っていたんだ。
『風流志道軒伝』のペンネームは、
風来山人(ふうらいさんじん)
なんだって。
なんだか、このお話に出てきそうな名前だね。
そして、みっきーが見た親子歌舞伎「心霊矢口渡」のときのペンネームは、
福内鬼外(ふくちきがい)
なんだって。
なんか、
「鬼は外〜!福は内〜!」
みたいな名前だね(笑)。
名字の「福内」が「福は内〜」、
名前の「鬼外」が「鬼は外〜」みたい!
(順番は違うけどね・・・「そこは目を瞑ろう」)
みっきーは思わず笑っちゃいました。
まとめ
源内、とってもすごいね。
お話も書いているし、ライターみたいな点火器や万歩計のようなものまで考えているし、
みっきーは江戸時代の「花」だと思います。
しかも、ペンネームまで面白い!
本当に楽しい人だったんだね。
今回は平賀源内のすごいところと面白いところを紹介しました。
だけど、逆に悪いところを紹介するのもありかもしれないね。
「平賀源内って悪いところあるの?」
って思う人もいるかもしれないけど……
それが、あるんだな〜。
いつか紹介したいので、楽しみにしててね!
じゃあ、まったね〜🌸


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