前田利家は四男だった!?「槍の又左」の意味もわかりやすく解説!|研究ノート⑨

やっほ〜!

今回は、加賀百万石の前田家初代当主として有名な前田利家についてお話ししていくよ!!

画像:前田利家肖像画
出典:Wikimedia Commons
ライセンス:Public Domain

実は前田利家には、「えっ!?そうだったの!?」と思うようなびっくりエピソードがたくさんあるんだ。

今回は、

  • 前田利家は前田家の四男だった!?
  • 「槍の又左」ってどういう意味?

の2つを紹介していくよ!

じゃあ、早速いっくよ〜!


前田利家は前田家の四男だった!?

みんな、前田利家が四男だって聞いてちょっとびっくりした人も多かったんじゃないかな?

多分こんな感じ。

「ん、え、え〜〜〜!!前田利家って四男だったの!?前田利家って織田信長の家臣で、『槍の又左』って呼ばれているあの利家でしょ!?普通、長男が家を継ぐんじゃないの???」

みたいな感じだと思います。

みっきーもそうでした。

前田利家は1537年(1538年とも言われています)に、前田家の四男として生まれました。

幼名は犬千代(いぬちよ)です。

幼いころの利家は、「歌舞伎者(かぶきもの)」だったと言われています。

歌舞伎者とは、派手な服を着たり、人とは違う目立つ行動をしたりする人たちのことだよ。

13歳ごろ(数え年なので、今の年齢だと12歳くらい)になると、織田信長の近習になりました。

近習とは、今でいう側近のようなもので、信長の身の回りの世話をしたり、話し相手になったりする家臣のことです。

さらに1558年には、信長直属の赤母衣衆(あかほろしゅう)になりました。

赤母衣衆とは、戦場で活躍する信長直属のエリート部隊のようなものだよ。

利家はたくさんの戦いで武功をあげました。

有名な桶狭間の戦いでは、敵の首を3つも取ったと言われています。

このような活躍を続けたことで、利家は信長から高く評価されるようになりました。

前田家ではさまざまな事情が重なり、最終的に利家が家督を継ぐことになります。

四男だった利家が前田家の当主になるなんて、びっくりだよね!

でも、それだけ利家が優秀だったということなのかもしれません。


「槍の又左」の「又左」って何!?

次は〜

デデン!!

みんなは、

「槍の又左(やりのまたざ)」

って聞いたことあるかな?

みっきーは最初、

「槍の」はわかるけど、

又左って何!?

と思いました。

本で調べてみると、昔の武将の名前は今よりずっと長かったんだって。

例えば織田信長の正式な名前は、

平 朝臣 織田 上総介 三郎 信長

(たいらの あそん おだ かずさのすけ さぶろう のぶなが)

だったと言われています。

長い!!

みっきーだったら絶対「織田信長」で省略するよ(笑)

そして前田利家が元服したときの名前は……

デデン!!

前田又左衛門利家
(まえだ またざえもん としいえ)

だったんだ!

もう理由がわかったかな?

そう!

「槍の又左」の又左は、

又左衛門(またざえもん)

から来ていたんだよ!

みっきーは本を読んで、

「あっ、そこだったの!?」

ってなりました。

確かに、

前田又左衛門利家

↓

又左

だね!

でも、みっきーだったら、

「槍の利家」

って呼ぶかも(笑)

みんなは、

「槍の又左」

と

「槍の利家」

だったら、どっちがかっこいいと思う?


まとめ

今回は前田利家について調べてみました!

前田利家は、

  • 前田家の四男だった
  • 信長に高く評価されていた
  • 「槍の又左」と呼ばれていた

ということがわかりました。

みっきーは、四男だった利家が前田家の当主になったことに一番びっくりしました!

まだまだ前田利家には面白いエピソードがたくさんあるので、また別の機会に調べてみたいと思います。

次はどんな戦国武将に会えるかな!?

じゃあ、まったね〜

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