やっほー!
みっきーは最近、姫路城に行ったよ。

白鷺城と呼ばれる姫路城は、天守が白くて幻想的だったよ。
みっきーがガイドさんの話を聞いて一番面白いと思ったのは、
千姫はでっかい御殿に住んでいて、姫路城主の本多忠政はちっちゃい御殿に住んでいた!?
っていう話だよ。
「なんでそんなことになっちゃったの?」
今回は、そんな千姫ゆかりの西の丸・三の丸について話します。
千姫とは誰かというと
千姫は徳川家康の孫、徳川秀忠の娘だよ。
千姫は6歳、数え年では7歳のときに豊臣秀頼に嫁ぎました。
「あれ? 豊臣秀頼って大坂の陣(冬の陣、夏の陣)で死んじゃうんじゃなかったっけ?」
そう思った人、鋭い!!
徳川家は、千姫が嫁いでいるのに大坂城を攻め始めたんですね。
「家康、ひどーい!」
こう思っちゃいますよね。
だけど、これは家康が好きで孫を嫁がせたわけじゃないんです。
「じゃあ、なんで千姫が秀頼に嫁いだの?」
テッテレー!
秀吉との約束があったから~!
千姫と秀頼の結婚は、豊臣秀吉の時代から決められていたことでした。
その約束によって、千姫は大坂城へ輿入れすることになったんだって。
「なんで家康は約束を守ったの?」
みっきーはこう思いました。
「秀吉さん、死んじゃったんだから、約束守らなくてもいいんじゃないかな~」
ところが、調べてみると、家康側にもいろいろな事情があったようです。
ここからは、みっきーが「こういうことだったのかな?」と考えたところも入っています。
デデン! 1つ目の計算
世間に対するいいアピール!?
秀吉との約束を守ることで、
「家康は約束を守る人です!」
と周りに見せることができます。
当時は、豊臣家との関係や、家康がどう見られるかも大切だったはず。
約束を破ったら、
「家康、恩知らずー!」
と思う人もいたかもしれません。
家康は、味方を増やして天下を治めるためにも、自分がどう見られるかを考えていたのかな?
デデン! 2つ目の計算
大坂城の様子が徳川家に伝わる!?
大坂に行くとき、千姫にはたくさんの侍女たちがついていきました。
秀頼の妻になるということは、豊臣家の中で暮らすということ。
千姫の侍女たちを通じて、豊臣家の様子が徳川家に伝わることもあったのかもしれません。
「つまり、千姫が大坂城にいることって、徳川家にとっても得だったのかも!」
と、みっきーは考えました。
大坂の陣のあと、千姫に新しい出会いが!
そして、大坂の陣で豊臣秀頼が亡くなると、千姫は大坂城を出て、江戸へ帰ることになりました。
その途中で立ち寄ったのが伊勢国。
今の三重県です。
ここを治めていたのが、徳川家の家臣・本多家。
当時の当主だった本多忠政は、息子の忠刻に、
「姫が来るんだから迎えなさい!!」
「あ、はい。」
てなことで、忠刻くんが千姫を迎えることになった……という感じかな?
そして、
忠刻は非常に美男で、千姫は忠刻に恋をしたそうです。
つまり……イケメンだったのかな?!
千姫は忠刻のことを気に入ったことを周りの侍女たちに話し、それが徳川家にも伝わったという話があります。
そして千姫は江戸に戻ると、
「忠刻と結婚したい!」
と徳川家康に訴えたと伝えられています。
そして、千姫と忠刻は結婚することになりました。
千姫が姫路へやってきた!
千姫と本多忠刻が結婚すると、本多家にも大きな変化がありました。
本多忠政は、それまで桑名藩10万石を治めていましたが、1617年に姫路へ移り、15万石の姫路藩主になりました。
さらに、忠刻には父・忠政とは別に、播磨国内の10万石が与えられました。
つまり、
忠政15万石!
忠刻10万石!
という、とんでもないことになったのです。
徳川家の姫と結婚するって、すごい……!
徳川の姫が姫路城へ!
で、話が長くなりましたが、ここからが今回の本題!姫路城の千姫のために建てた、どでかい御殿!
徳川の姫が嫁に来るということで、
城内は大騒ぎ!!
(実際は騒いでいません。)
1617年、本多忠政が姫路城主になると、三の丸や西の丸などが整備されました。
見晴らしのいい高台の西の丸には、忠刻・千姫の素晴らしい御殿が建てられました。
徳川の姫が嫁いでくるって、やっぱり大事件だったんだな~
千姫が暮らした西の丸
実際に西の丸に行ってみると、木の枝と枝の間から、綺麗な天守が見えました。
千姫も、こんなふうに姫路城の天守を見ていたのかな?
ここで千姫は、優雅な暮らしをしながら、イケメンな夫と暮らしていたのかな。
いいなぁ、徳川家の娘~!
(もちろん、千姫が本当に「幸せで何不自由ない生活」を送っていたのかは、本人に聞いてみないと分かりません。でも、実際に西の丸に立ってみると、「千姫はここで幸せに暮らしてたんだろな」と想像したくなりました。)
姫路城にはまだまだ面白いところがいっぱい!
姫路城には、天守もいいけど、西の丸とか、お菊井戸とか、面白いところがいーっぱいありました。
お菊井戸は、怪談「皿屋敷」で知られている井戸です。
そして、天守の近くには、
水一門〜水六門
という門もあります。
「水の門って、なんでこんなにいっぱいあるの?」
ガイドさんに聞いてみたら、
井戸で水をくんで姫路城に運ぶときに通る門だからなんだって!
水をくんで一番目に通るから「水一門」、二番目に通るから「水二門」というように名前がついているそうです。(諸説あり)
ガイドさんに教えてもらわなかったら、ただ通り過ぎていたかもしれない!
姫路城、奥が深いねぇ。
姫路城は、いろんな時代につながっている!
今回、姫路城について調べてみて面白いと思ったのは、
一つのお城から、いろんな時代の歴史がつながっていくこと!
千姫を調べると、
徳川家康
↓
徳川秀忠
↓
豊臣秀吉
↓
豊臣秀頼
↓
大坂の陣
↓
本多忠刻
↓
姫路城
と、どんどん歴史がつながっていきます。
姫路城は、江戸時代の城なのに、安土桃山時代の歴史までつながっちゃってるよ。
これから行く城にも、きっとこういう歴史のつながりがあると思う。
またいろいろ調べて書きたいです。
みんなもぜひ、姫路城に行ってみてね!
あと、ガイドさんを予約すると、自分では気づかなかったことをいっぱいいろいろ教えてもらえるので、姫路城に行くときはガイドさんのお話を聞くのもおすすめだよ。
じゃあ、まったね~!


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